読者のみなさんからのお便り
「さーてね、どこにオッパナしちゃったんだがな、メッカンなくなっちゃってさ、ワ
リーけどちょっと待ってクンナイ」と、そこには来年13回忌を迎える父の姿が生き生
きと現れ思わず涙したり、またふき出したりしてしまいました。思い出は匂いであったり風景であったり、物であったりしますが、言葉があることにこの本で気付かされました。また本を開いて亡き父と会話を楽しんでいきたいと思います。
[太田市・中村清子さま]
新聞で発刊を知ると同時に購入して読破しました。正に自分が待ち望んでいた本だったので感激しました。今ではあまり使われなくなっているというようなコメントがありますが、そんなことはありません。内容の総てが私が使っているものであり、これから先、子ども達にも伝えていこうと思っています。
[新田郡・若江孝志さま]
私は25歳の主婦、東京に嫁いで2年、1才の子どもの母です。先日、高崎に帰った時 この本を見つけ迷わず購入しました。東京に住み始めるとだんだん標準語になり、うっかりすると上州弁を忘れてしまいそうになり、淋しく思った矢先、この本に出会いました。今、私のおばあちゃんが亡くなりそうです。一人の上州弁のネイティブスピーカーがいなくなりそうな危機です。私はおばあちゃんの話し言葉を思いだし、この本
も参考に、これからも上州弁を話そうと決意しました。言葉は伝染(うつ)りますよ ね。主人にも息子にもうつすぞ!!
[葛飾区・奈良貴子さま]
50年以上前に使っていた(今も使っている言葉も多いが)いきいきと、威勢のいい上 州弁、いろいろ思い出し、なつかしくおもしろく元気が出ました(友人にも一冊あげ
て、3人で笑いころげました)中にいくつか、なじみのない分からないことばがありました(シンショーガン、ガショウキ?)。P202のシントは私はシントウと云ってました。
[群馬郡・堀越竹子さま]
東京で長男を出産し働きながら育てて、泣き止まないその子に「イーラ、いい子じゃネン。マッツグに泣きテーダケ泣けばいいがネ」と言った時、子どもは田舎で育てようとしみじみ決心したのであります。よい本をホントにありがとうございます。
モウセンの地元にケール20年前のS40年代原宿のオフィスで「頭にチンカラモンつけて」笑われたことも思い出しました。
[足利市・池上知恵子さま]
私は高崎生まれで、高校時代まで高崎で暮らし、その後大学・社会人と7年と少し東京で生活しました。'90年に群馬に帰ってきましたが、その時上州弁(群馬弁)が耳につき興味を持ちました。将来、上州弁を集めた本でも書きたいと思っており、遠藤さんに先をこされてしまったという気持ちです。非常に面
白く、大笑いしながら一気に読んでしまいました。
[高崎市・小野里勝さま]
幼い頃の言葉の思い出がたくさんありました。又、初めての言葉もありまして上州に生まれ育ち、今更にして良い勉強になり、頭の活性に役立ちます。これからも何回となく読み返し楽しめると思います。
[高崎市・飯島美江さま]
地元群馬で何気なく毎日使用している言葉が、上州弁という方言だったのだなあと、あらためて感心しながら一気に読んだ。
[勢多郡・秋田芳夫さま]
子どもの頃は本に書いてあるそのままの言葉でおしゃべりをしていたことがとってもなつかしく思い出すことが出来ました。今ではこういった言葉を使う方は多分少なくなっているようでちょっとさびしく思います。
[太田市・遠藤百合子さま]
マイリトルタウン誌に山崎もといさんが占いを発表していると以前から承知しておりましたが、上州弁も生活の変化によって消えていくのもやむを得ないがよくぞ記録しておいたもので、伊藤信吉さんの「おたくら詩集」などと共に、西上州と東上州との対照はあるものの、共通
するものも多く納得させられました。面白かんべェ上州弁という題もよかった。
[前橋市・野上和夫さま]
小生が小さい頃使った上州弁(方言)がたくさんあり、なつかしく思うと同時に、よくまとめたものだと感心しています。P234「オサンカラ」について、私たち西毛地区では「金を使い果
たしてすってんてんになり、無一文になる」ことをオサンカラと言っていました。
[群馬町・友松稔さま]
二男の嫁さんが父の日だということで“オトウさんは本が好きだからネ”と贈ってくれた。読み出したら止まらない。都丸十九一さんの本が好きでよく読みます。上毛新聞社の“遊んべぇ”(下田直好)は私の宝物です。よくもまあこんなに調べたネ。俺なんかには「テンデ」出来ねェし、まねにもならネーこったいネ。ありがとうございました。本にめぐりあわせた嫁に感謝してます。
[伊勢崎市・五十嵐専二さま]
私は小泉間之原の生まれですが、私の知らないいくつかの方言もありますが、ほとんどが懐かしい言葉ばかりです。私の子どもの頃は、読むものは新聞ぐらい、その新聞ですら取らない家があった時代、ラジオも小学3、4年生ぐらいに我が家に入りました。そのため言葉は耳学問で覚えたので方言が生きていたのだと想う。今はテレビや本で標準語に慣らされている。又、上州弁を多発すると無学で下品に思われそうで、なるべく標準語で話すように心掛けている。この本を見ていると魚が水を得たような気になります。車がぬ
かるみや軟らかいところに入ってしまうことをネコマツヤという。高さのことをタッパという(この樫ぐねはずいぶんタッパがあるなあ、などの言い方をする)
[太田市・岩崎敬幸さま]
上州に生まれ育ったとはいえ、上州弁を使っていても、自分自身自覚していなかった。標準語が何か上品だと思っていたが、反省しきり。上州弁の良さをかみしめて語りたい。
[高崎市・岡田正市さま]
タイミングというのは、本当に不思議にばっちり合う時があるものなんだなぁと少々驚きました。昨年あたりから、何故か上州弁が気になって、ずいぶん長いこと使わなかった言葉を思い出したり、友人や子どもと、あーだこーだと話したり、意味や語源をさぐってみたりしていたところへ、この本の存在を知りすぐさま買い求めました。なつかしく、面
白かったです。私は北毛なので、少し違うところもあるかと思いますが、それでも上州は上州と感じました。
[渋川市・大沢三恵子さま]
楽しい本をありがとうございます。おもわずニッコリ笑ってしまう本です。私は公民館で水墨を習っていますが、70代、80代の方が多くて、私は若い方ですが、その私が無理にふざけて、今まで方言を使って笑わせていました。この本を持って行ったら手を止めて大笑いです。どこへ持って行っても、誰もが大喜びです。大切にします。ありがとうございました。
[伊勢崎市・奈良道子さま]
本屋で手にした時、一人笑った、わらった変人だった。子どもの頃の祖母たちの会話ダ! なつかしかった。“にい〜”星人、“だがね”星人と呼ばれバカにされた一昔前を思い出し、今は、北海道に帰った友人に送っちゃる!! と買った一冊でしたが、オットがもう一冊買ってこい!! だって。私のオットは岩手出身、あまりなまりはありません。しかし結婚し、私の父を真似て群馬弁を駆使しております。でも時に…変!! オットのバイブルと化するでしょう。
[太田市・及川裕子さま]
生粋の群馬県人ですが、以前、茨城に10年間程暮らしました。敬語、尊敬語のない、そしてアクセントもない茨城の方言は群馬よりもっと言葉は荒い。60年程前、母方の祖母の実家、新田町で聞いた「あんにや」(兄)、「ほうじゃく」(かなぶん)。今でもこんな言葉は残っているのでしょうか。
[佐波郡・斉藤実さま]
おもしろかったの一言! めいっ子が、学校の夏休みの宿題で方言の壁新聞を作ることになり、群馬弁のことを調べたいと連絡をもらったのがきっかけに、この本を知りました。群馬弁と言われても、そんなにもないと思っていたのに、「これもそうなの?」と思うものばかりで、とても楽しくこの本を拝見しました。思いがけずとてもいいタイミングでこの本と出会え、うれしく思います。めいっ子の住む山形へもこの本を送るつもりです。
[太田市・富田美弥子さま]
傑作です。できればカットがあるとよかった。著者のプロフィールも写
真付きでもっと詳細に。「50音順」に「国語辞典」風にしてもよかったような気がします。
[大泉町・桂一郎さま]
まず、何気なく使っていた自分の日常会話と全く同じ文面が本書の中にあり、自分では全くの標準語だと思っていただけに少しショック!! でも最高におもしろいです。
[山田郡・小林まちこさま]
私藤岡生まれの76才になる一人暮らしの楽しみも少ないおばあです。本を読みました。それも一気に読んだんです。なつかしさのあまり胸の奥の方から熱いものがこみ上げて来ました。木綿の着物に赤い鼻緒の下駄
をはいて学校へ通った頃の事がタイムスリップしたかのように思えて、一人でも多くの人に読んでもらいたく、テレビにでも出演してどんな形かで宣伝できたらいいのにと思っています。大正生まれの人がいっぱいいるうちに。
[前橋市・茂木信子さま]
私は伊勢崎朗読奉仕会の会員として広報や小説をテープ化して、視覚障害者に聞いていただくボランティアをしております。勉強会が月一回あります。例会ではいつも「群馬弁」と注意を受けます。なぜだか講師をつとめる方は子供の頃東京に住んでいたとの事、聞いて下さる方も、この地方の方、会員の多くは大方伊勢崎の人、「群馬弁」のイントネーションの注意を受けるが、この地に生まれ育った者にしてみれば、暖かみのある方言は捨てがたいものです。上毛新聞に上州弁の本の記事を見たのでいつか読んでみたいと思って居りました。先日、我が家のテーブルの上にこの本がありました。娘が買ってきたとの事、娘は今中国語の翻訳をしております。伊勢崎市が、中国の馬鞍市と姉妹都市になっている関係で中国から研修生が来ております。その人達に日本語を教えているのですが、時々先生の日本語と会社の人が言っている日本語が違うと指摘されるので、この本を買ってきたとの事でした。娘が教えるのは共通
語、会社の人が話すのは方言と。この本を手にし、私たちの年代では全部わかりますが、娘の年代では、大分わからない言葉があるのでこの本を買い求めたと言う事でした。私がこの本を読んでみるに、たまたま私の両親は太田の出身です。でも私は伊勢崎生まれの伊勢崎育ちです。子供の頃はよく太田の親戚
へ行って遊んだものです。だから私の言葉は小学校へ入るまでは「太田弁」?でした。ここに書いてある言葉も伊勢崎近辺でも使われていますが、太田と伊勢崎では少しニュアンスが違うように思います。よく太田の親戚
が伊勢崎に来ると伊勢崎の北風は寒いと言っておりました。その分伊勢崎近辺の上州弁は声(音)に発すると、荒くきついもののように子供心に思っておりました。今また改めてそれを実感いたしております。どれもこれも今でも使っている言葉ですが、こうやって拾い出して貰うと、こんなにあったのかと、とても愉しく読ませていただきました。ありがとうございました。
[伊勢崎市・田村博子さま]
暑中お伺い申し上げます。過日は突然のお電話を大変失礼いたしました。著者、ご本人様とお話をさせて戴き感激でした。早速お送り下さいまして有り難うございました。十五年もの長きに亘りご執筆、本当にお疲れ様でございました。
[高崎市・湯島しづゑさま]
「ぼっとするとー」(もしかすると、ひょっとすると)。幼いころ使っていた記憶がありますが――。
[伊勢崎市・森川淳さま]
この本を読んで、亡くなった祖母を思い出しました。ずいぶん記憶にあります。私は1963(S38)生まれですが、ほとんど祖母に育てられたので、それで覚えているのだと思います。……それにしても、使われなくなりましたね。懐かしかったです。(祖母は明治生まれです)
[前橋市・青木晴美さま]
自分達が子供の頃使っていた言葉だが、今、こうして活字を読んでみるととてもなつかしい。文法説明があるが、かえって読みづらい。ないほうが文章に引き込まれる。
[安中市・吉田美津夫さま]
桐生に住んで15年(横浜から)。来ない、ボッとして、オーカ、……本書にてまだまだ色々あることを知り面
白かったです。※文中購買キャラメルは紅梅……ではないでしょうか。病院の待合室で隣の人の読んでいるのを見まして早速本屋より取り寄せました。
[桐生市・村田和子さま]
親しみやすい語り口で、読みやすかった。群馬を知るにはとてもよい本だと思います。他県の人に群馬県のおみやげとしてあげたい一冊です。群馬を旅行などで訪れた人にもすすめたい一冊です。また、群馬に住んでいても、「あるある、使ってるよね、これ」と思わず笑ってしまう。&「えっこれ方言?」とおどろかされる、ショックを受け楽しめる一冊です。ぜひみんなに読んでもらいたい一冊ダイネー。(笑)
[勢多郡・松井智子さま]
自分達が子どもの頃使ってた言葉だが、今こうして活字を読んでみると、とても懐かしい。文法説明があるが、かえって読みづらい。ないほうが文章に引き込まれる。
[安中市・吉田美津夫さま]
この本を読んで、亡くなった祖母を思い出しました。ずいぶん記憶にあります。私は1963(S38)生まれですが、ほとんど祖母に育ててもらったので、それで覚えているのだと思います。……それにしても、使われなくなりましたね。懐かしかったです。(祖母は明治生まれです)
[前橋市・青木晴美さま]
ほんとにおもしれんねぇ。しんだとしよりばあちゃんにあったみてぇで、うれしんよ。埼玉
の妹にもおしえるんべかなと思ったけど、ぼっとかすると、はぁもってるかもしんねぇよ。妹も、ぐんま弁すきだかんね。
そういえばシントはシントウともいわいね。芯頭(さっきっぽのほう)なんじゃねんかい。“なっぱのシントウがやーらかくってウンメーンだい”ってゆうがん。あと、よく名詞でキビショ、メケ、ショーギ、ミ、ネコ(ネコグルマ)、セドだとか、○○さんちじゃあなくって、クルマンチとかポンプヤンチ、ボーヤンチとか屋号でよばったりすらいね。また、続きが読みてんよ。
[勢多郡・新井純子さま]
夜勤がヒマなので、仕事場で深夜の読書してます。ソウダガネ・ホントカイネ・いけすかない・しわしーね・せわねーよ、エッセイの題にコレからも使えそうな言葉、言い回し選んでみました。まだある。ヌクイ!?・シミッタレ・オキリコミ(うどん)。この本は、小説を書く上で大いに役立ちます!
[佐波郡・栗本修一さま]
S35年から、現住所に来る迄(S.48)13年間、4才:御殿場、横須賀で過ごしました。私は群馬弁丸出しのしゃべり方ではないのですが、知らないうちに少しまざっている様です。子供の頃がなつかしく思い出されました。嫁に行った娘にまわそうと思います。娘達の幼友達が帰郷にしゃべっているのは、この本通
りに戻って楽しそうに会話しています。良い本でした。主人が7月18日に買い、私によこしました。
[藤岡市・畑和子さま]
子供の時使った言葉を思い出す。子供の頃、親が大間々上桐原におったので田舎言葉が出る。忘れていた上州弁。このような本が欲しかった。ましては、群馬県の人が書いて下さったとは、ありがとう。
[新田郡藪塚本町・三宅平八郎さま] 忘れかけたなつかしい上州弁。“ソオダ・ソオーダッタ”親父やおふくろのなつかしい顔が思い浮かんでくるようだ。方言というか、上州ことば、いつまでも語り継がれるよう私は願う。この著者に感謝とお礼を申し上げたい。
[高崎市・小山英雄さま]
書いてんベーカー、笑はネーデクンド、オラー神流村チュウとこで生まれたンダー、オラガチは貧乏だったけど、オトッチャンとオッカチャンはオラー達兄妹を一人前に育ててくれたダ、今自分が親になって、エレー親だったなあ、と思いながら涙が出るやうだ。どの頁を読んでも、村一番の貧乏家だったオラガチと、桑畑や麦畑が、そして村人の声が、瞼に耳に懐かしく偲ばれてきて、これは永久保存の部の書架に置くことにする。
[多野郡・長浜一男さま]
祖母は榛東出身で、私と会話するとき、上州弁を使っています。東京育ちの私には方言が珍しくおもしろいものなので読んでみることにしました。方言はあたたかみある言葉だと思います。こんなに上州弁があると知りビックリしています。
[東京都西東京市・高野辺典子さま]
「面白かんべェ上州弁」面白く読ませていただきました。地域の本屋さんに頼んだのですが、この本を取次店で扱っていないと返事が来ました。がっかりしました。県立図書館で巡回本として町の図書館に届いた次第です。私は個人で一冊欲しいので下記住所に送って下さい。
[多野郡・新井正治さま]
よくもまあ、こんなに集めたものだ。こんなに研究したものだと感動しました。私共、妻は太田の沖野、私は木崎の出身で読んでいてほのぼのとした懐かしさがこみあげてきました。こんな上州弁(と言えるかどうか)あったげがー。1.その話は「とっく」に聞いたよ。2.これまだ使えそうだから「とっとく」かね。3.そんなこと「ひとつも」思ってねえよ。 伊勢崎へ四十数年前転居しましたが、こちらではあーんなば(あんなところ)、めえーかた(前の方)、おっつぁしい(うるさい)、ひゃあもない(少しもない)etc.の方言が気になりました。
[伊勢崎市・久保田美実さま]
暮れに孫娘(大4生)が買ってきました。面白く読み、又、懐かしく思いました。渋川市で育ちました。私の幼少の頃に皆使ってたので驚きました。私は父にテーンデ(とても)デッカイと云って叱られたものです。又、先日は医院に行って「先生、イチンチ、シャンガラ痛くってねー」と言う言葉が思わず出てしまい、びっくり。生きてるのもオオゴトでヨイジャーナイよねとこの頃言ってたら、本を見てびっくりしました。
[前橋市・鈴村澤江さま]
初めまして。面白かんべェ上州弁、大変楽しく読ませていただきました。書店で、中学一年の娘が見つけて購入いたしました。ちょうど、童話を土地の言葉で、紙芝居にする。と言う授業の最中で、この本が、目に入ったようです。私は、著者よりひとまわり年下の、1959年生まれ、生粋の上州人です。この本を読みながら、へぇ〜と感心したり、おーっ、そうであった!と納得したり、にや〜り、あはは、うへぇ〜、あひゃひゃ、と笑ったり……。もう亡くなってしまった方たちが話していた上州弁を、その情景と共に思い出したりほんとうに、楽しく読ませていただきました。その後、東京に住む妹に、電話でこういう本をみつけた。に、はじまって、ひとしきり、話の花が咲いたのは、言うまでもありません。私は、吾妻郡中之条町の生まれで、現在は、多野郡上野村に住んでいます。この土地に来て12年になりますが、上州弁と言っても、地域によって、ずいぶん違うなと思いました。上野村では、今でも、おとこし、おんなし、こどもしなどは、普通
につかいます。また、おまえが、おみゃーになるのには、おどろきました。勢い込んで話す時などは、「そっでなー、おみゃー、あっだで!」と一言あってから、本題があったりします。(中略)長々と書いてしましたが、感想など、お伝えしたかったので……面
白かんべェ上州弁、書いて下さってありがとうございました。
[多野郡・今井波津子さま]
この度は、貴著「面白かんべェ上州弁」を楽しく読ませていただきました。私は、三年前から群馬県に住んでいるものでして、「上州弁」にはとても興味があります。新聞で貴著のことを知り、さっそく、その日に本屋で買い求めたものでした。大変面
白い内容上、精緻な国語文法にも基づいて書かれており、遠藤様の真摯な研究ぶりには感服いたした次第であります。ただ、若干ながら、主に貴著で言及されていない上州弁で日頃気になるものがありまして、どうしても、遠藤様にお伝えいたしたく、筆をとりました。太田の隣の新田にも、上州弁に興味を持ち、勉強(?)している者がいることを知っていただければ幸いに存じます。(略)
[新田郡・川邊啓二さま]
子供の時つかった言葉を思いだす。子供の頃親が大間々上桐原におったのでいなか言葉が出る。忘れていた上州弁、この様な本がほしかった。ましてや、群馬県の人が書いて下さったとは、ありがとう。
[新田郡・三宅平八郎さま]
郷土を舞台にしてものを書く私にとって有り難い参考資料である。P234
オサンカラ ――我が村ではS.30年頃まで使っていた。一番ぴったりした用い方は、歩き始めの子、又は赤児がおしめを外した身軽さで歩き回ったり、フルチンのままでいると、姑の言葉「いつまでケツおさんからにしてたら、風邪引かすど!」これは字を当てると「散空」でしょう。財布が空になったときも、オサンカラのスッテンテン!(略)
[東京都小金井市・山本ふさこさま]
「群馬弁保存会会長」と自称する私にとっての必読書です。東京に稼ぎ、又戻ってきた私。またまた会長をこの本によって存続できそうです。
[甘楽町・小柴真知子さま] なかなか面白かった。ただ作者が東毛地区のせいか西毛、北毛にむかしあった方言が少ないように思える。例えば、おてんたら(お世辞)、むし(ネスはそうじゃないかね、英語の
isn't it)、ずで(veryの意味)、おつかつきゆう(ジャンケン)東毛ではチッカキュウなのか、わりかし(わりあい)、こまっちゃくれる、しやんぼ(けちん坊)、じゃんぼん(葬式)、こうばいか早い(はしっこい、俊敏)、水あび、こわい(いたい、重い、気持ちがわるい、つかれるetcの意)、その他sex関係のものがかなりあった。また、色々あるでしょうから教えてもらえたら幸甚です。
[高崎市・飯塚俊彦さま]
上州弁(常用語)に自信を持ったがね。http://homepage1.nifty.com/tasiq
[本庄市・中井正樹さま]
玉村の「つたや」に、著作が△△△こんなふうに山積みされてました。いいスペースでした。売れるといいな。大手のハードカバーの本に負けてほしくないです。本など、所詮、モンテーニュの「エッセイ」じゃなけど人の独り言です。本屋という共同の幻想が、一つの市場としてある限り、人は買うんだろうな。
【佐波郡・栗本修一さま】
内陸部の上州に「ホマチ」が使われていたなんて云々。川運の盛んだった上州になって船頭さんは沢山いた。帆待というとなんとなく順風を待って停泊している感じだが、風を待つのは「風待」船乗りが運送契約外の私の荷物や他の荷揚げを運送して内密の収入を得た。これが「帆待」。しょうしい=これは「おしょうしい」などと言って、「恥ずかしい」という事でしょう。おかしい、汚いではない。古語では「勝事(しょうじ)」。
【佐波郡・斉藤実さま】
「続面白かんべェ上州弁」の発刊のお知らせを頂きありがとうございました。早速近くの文真堂書店に求めて、一気に読みました。利根川の変流により江戸時代は群馬郡、明治以降は勢多郡、そして昭和29年から前橋に編入なった私の町は、いろいろの上州弁が混じって語られていますが、「飛びっくら(かけっこ)」、「いぶせえ(あぶない)」、「おこえ(こじょうはん)」など、いろいろ。
【前橋市・野上和夫さま】
私は小学校卒業までは吾妻郡に育ったので、これに出てくる一語一語がなつかしいが、しかし東毛と北毛ではかなり違ったものがあるのを感じた。
【高崎市・飯塚俊彦さま】
まさに「面白かんべェ」です。楽しみながら一気に読みました。今は亡きおふくろや幼き頃が思い出されてきます。上州弁がこんなにも沢山あるものかと驚いております。「トットク」の項で小生のこと、とり上げていただき感激しました。
【伊勢崎市・久保田美実さま】
何気なく使っていた上州弁、本になるとこんなにも面白いものかと感心いたしました。上州弁に今さらながら郷愁を感じ、いつまでも残しておきたいものです。都会の孫が上州弁の真似をして面
白がっております。
【尾島町・岡田美恵子さま】
前書も読ませていただきましたが、今回の本書「続面白かんべェ上州弁」も自分自身そうだなあと思いながらとても興味深く読ませていただきました。こういう本に触れると、改めて自分が群馬人であることを実感できます。
【桐生市・佐々木良さま】
幼児期から義務教育時代までは本のような言葉を多々使っておりましたが、女学校から成人してからは大分標準語になりましたが、年をとってからは又、本にありますような言葉を知らず使うケースが多くなりました。非常になつかしく又珍しく読めますのが楽しみです。
【高崎市・飯島美江さま】
自分のしらない方言をしれてよかったし、とてもおもしろかった。
[甘楽郡・小林恵子さま]
ますます×2上州弁生活に自信を持った。「ナルイ」「ノオズッテル」が無いのはなぜ?!
[本庄市・中井正樹さま]
書店で見かけて、衝動的に買ってしまったのですがとても面白かったです。ジャンボンについて、ジャンはシンバルのようなもので、ボンはドラの様なものじゃないかなぁー。葬列の前の方でジャンとなった後にボ〜ンとなっていたような気がするのですが?
[新田郡・清水博さま]
昔から方言には、興味があり、方言辞典のようなものを作りたいとかねがね考えていました。なからいい感じに仕上がっている本だと思います。私も自分なりに追加して、楽しんでいます。書き言葉にすると、とてもおもしろくて、笑いながら読んでいます。回りの人も笑っています。
[北群馬郡・須田隆之さま]
また、買っちゃったんさね。おおか早く読んじゃうと、もってねんで、ちっとっつ読んで笑ってるんだね。前の本の愛読者カードといっしょに送らーの。
[北群馬郡・須田隆之さま]
此の度の本は前篇よりも面白くかんじています。毎日がたのしい。薮塚の町長小川さん始め町会議員の皆々様が三宅さんが本を読んでいるから元気だし、昔の無声映画のナレーションを聞かせてありがとうと喜んでくれた。
[薮塚本町・三宅平八郎さま]
大変面白く午前2時頃まで読みました。後編の方を先に拝見して前編をナカムラヤにお願いしている。子供の頃を思い出しつつ、夫婦して楽しみました。
[太田市・金井しず江さま]
後編がユニーに無くて本店に注文。こんなに面白くて昔を思い出す本に久しぶりにめぐり合いました。サークルの方にも貸して、一人でも多くの方に愛読してほしい素晴らしい本です。ありがとう。
[太田市・金井しず江さま]
上州弁が大好きなのでこの本を買いました。私が住んでいる所は山間なのでまだ上州弁がだいぶ残っています。虫の話ですが、クワガタ虫をオニムシと呼び、ヒラタクワガタはイタッペラ、ノコギリクワガタはアカオニ、ミヤマクワガタはガンコと呼んでいました。チョウチョは、チョーチョバコで町長さんの事も大人たちがふざけてチョーチョバコと呼んでいました。これからもたくさん上州弁を出版してください。
[碓氷郡・上原和子さま]
とっても面白く読ませてもらいました。花茶房の店先で買ってきたんだよネ。家へ帰って笑いながら読ましてもらっていたら薮塚の町会議員の植木さんが遊びに来て、「この本俺も読んだんだけど面
白いよネ。笑いながら読んでいたら子供達が、お父さん本読んで1人で笑っているよ、と言われちゃった」と。よく調べたもんだよネ。
[薮塚本町・大川よし子さま]
小生のことについては、すでにメールにてお話ししたとおりです。先生の著書は、私の忘れていた言葉をずいぶんと思い出させて頂き、尾島方言集が豊かになりました。ただ時間と空間の差のせいか異なるものもかなりあるようです。(例:ヒッチャブク→シッチャバク・ガイロッパ、オオバコ→ぎぼうし等)今後も、小生も研鑽を続けるつもりです。
青柳勝さま[横浜市金沢区]70才
遠藤さん、こんにちは。先日の大泉でのお勉強会に友人と出掛けました。会場で続編にサインしてもらい、いただいて来て読み終えるところです。尾島町出身で現在富山に住む友人に送りましたら読み終えてしまうのが、もったいない、どうしよう(大笑い)。一編ずつ毎夜味わって読んでます。とのこと。9月1・2・3日の「越中おわら風の盆」に呼ばれていますので「続・面
白かんべェ上州弁」を持って久しぶりの親友との再会です。
赤見須磨子さま[前橋市鶴が谷町]50才
群馬人の目から見たら、しみじみするものがあるが、他県出身者には理解できんだんべか? 説明が理論的になって、わかりにくい。もっと、四コママンガなどを用いて、例をあげてみては?
広瀬定幸さま[藪塚本町大字大久保]18才
上州弁も面白いが、使用例の作者の文も負けてない。類書に多いピンで固定された死せる標本に堕せず、初期の今村昌平映画のようにカッコつけぬ
パワフルさが働く。冒頭にビッコヒャッコの姿勢にも脱帽した。
塩山芳明さま[東京都千代田区]49才
常日頃上州弁を残したいと思っておりましたが、忙しいのにかまけて忘れてましたから本書が出たので、本書が出たので、わが思いこれ也との思いです。しかしながら当吾妻地方の方言はもう少し細かいし、はばがあります。下記2〜3記してみます。また前の本など紹介いただければ幸甚です。
三枝藤太郎さま[吾妻郡東村]64才
とある書店で、この「面白かんべェ上州弁」「続・・・」を見つけました。驚きました。私もまさにこのことに興味を抱いていたのです。私は七年前、神奈川県から嫁いできたので上州弁の独特な言い回し、イントネーションにさまざまな疑問を持っていたのです。笑いました。さすがに立ち読みでは笑いをこらえるのがキツくて、2冊とも買いました。と、いうより、これは買いでしょ! って程、かゆい所に手が届いた、そんなジョーゲキでした。私の周りはみーんな上州人。もちろん夫もバリバリの上州語。そんな中、私がぽつんと入り革命を起こしました。本当に驚いていたのです。自分が方言をしゃべっていることに対して。(略)
滝沢章子さま[吾妻郡草津町]
普通に使っていた言葉が実は方言だった。ドキドキしながら読みました。意味を知らずにいた言葉があったり、改めて知ったのもありました。にわかに上州弁ブームです。どんどん使おうと思いました。正直きれいな言葉ではないけれど、子供の頃から使ってきた大切な土地の言葉。忘れられない思い出と共にずっと残しておきたい。そう思いました。
小林 葵さま[伊勢崎市連取町]24才
子供の頃の情景を思いうかべ、笑いながら読んでます。一つおたずねしたい事があります。私が小学生の頃、ドッチボールのかわりに5〜6人で「ゴートぶつけ」をしてあそびました。校庭を駆けまわり、ボールを三回ぶつけられると、みんなから、5m位
離れて後ろ向きに立ち、両手を水平にあげ、他の子からボールをぶつけられるゲーム。(ゴートぶつけの語源は、ゴート→ゴット=神 迷えるひつじ→山羊=ゴート)
最近とても気になります。ちなみに私はクリスチャンです。
伊賀朱美さま[太田市石原町]50才
すごくおもしろかった。私も群馬の言葉はずーっと標準語だと思っていました。姉やめいっ子が上州にいるので、バリバリの上州弁を聞くことができます。義兄が「ソーダイネェとか良かったンね」とか男の人が使うと優しく聞こえますよね。とてもなつかしく高校時代を思い出しました。こちらにいる群馬県人に読ませたいです。
中島和子さま[千葉県稲毛区]24才
高崎に来てもう40年近くになるが、びっくりした言葉に、「マサカ」「マッサカ」があった。「広辞苑」を見ると「まさか」は(下に打ち消し・反語などの語を伴って予期しない仮定を表す)よもや、いくらなんでも。・・・と書いてある。これから判断して、例えば「マッサカ」は「マサカ、カワイイコダネ」(新生児を見ての親へのほめ言葉?)は、当時馬鹿にされた様に感じた。もっと「マッサカ」「マサカ」について詳しく解説をお願いしたい。
小林司気男さま[高崎市上中居町]66才
生まれ育った町が旧世良田村平塚でした。16才で東京に出まして今日まで使っていた言葉、忘れてしまいましたが、昔なつかしい上州の言葉を本を通
して涙が出るほど感激しています。終戦の時は国民学校2年生でした。今でも新田義貞公が大好きです。時々尾島町と境町、世良田に寄ると工業団地のなかった頃の上州弁を聞いて感動しています。ありがとうございました。
渡辺富治さま[埼玉県熊谷市]65才
60年来この地に暮らしております。大変楽しく読ませていただきましたが、一つ気になることがありましたので参考迄に申し述べてみます。P.198のゲーロッパについてですが、私も夫もそして兄妹達にも尋ねてみましたが、私共が呼んでいたゲーロッパは、おおばぎぼうし又はぎぼうしの類に思います。おおばこではないと思います。地域も違いますのでむずかしいと思いますが御検討下さい。
堀越晴子さま[太田市鳥山下町]63才
自分が生まれ育った村(甘楽郡南牧村。元は磐戸村)の言葉が数多く採録されていて、うれしくなりました。上京後2年ほどしてから上毛学舎(小田急線千歳船橋駅近く)に入居した時にも同じ感慨に浸りました。
田貝栄重さま[埼玉県深谷市]67才